2026/10/06 17:03

最近、モスアゲートに惹かれている理由について、ずっとあれこれ考えています。
そんな中でふと思い出したのが、昨年何度か訪れた神奈川県立金沢文庫で開催されていた「社寺明細帳図展」という企画展です。
この展覧会は、明治時代に行政が神社や寺院の境内配置を把握するために作成を命じた「神社明細帳」や「寺院明細帳」などに添付された絵図があり、それを同館が長年調査・収集してきた成果を一挙に紹介するという、非常に珍しいものでした。

その絵図には、寺社の敷地境界線の内外に、建物や灯籠、石仏、池、巨木などが平面構成的に描かれており、まるで観光地の案内看板のように、一目で何がどこにあるかがわかるように描かれています。
ただ、それぞれの要素が不均等に強調されすぎていて、正直なところ、絵としては一般的な視点からは上手いとは言いにくいものばかりです。
けれど、その不均等さが絶妙なバランスで見事に調和していて、初めて見たときには強い衝撃を受けました。

そして図録を見返してみると、描かれている木々が、モスアゲートに似ているな、と感じました。
アゲート、つまり瑪瑙(めのう)の一種であるモスアゲートは、苔のような緑の内包物が特徴の天然石です。その模様はまるで水墨画のようでもあり、この日本画の筆づかいで描かれた木々が、モスアゲートを連想させているのかもしれません。

ただ、私が本当に強く惹かれたのは、この絵画が、その特殊な背景から偶然に生まれ、結果として唯一無二の存在となったと感じたからです。
元々、寺社が独自に雇った素人も含めた描き手によって作成された行政向けの資料なので、見栄えはそれほど重要ではなく、観客がいるわけでもありません。つまり、描き手にとって、芸術作品として描く必要がない状況です。
それにもかかわらず、描き手たちは、意識的にせよ無意識的にせよ、その個性を絵図に「だだ漏れ」させてしまっています。
この「だだ漏れ」という表現が適切かどうかはわかりませんが、特殊な条件下でも現れてしまった個性が、まるで機能美や構造美のように美しく感じられたということです。
長い間、工業的なデザインのスモールファクトリーリングには、透過性のあるモスアゲートのような繊細な素材は合わないと思い込んで避けてきました。
けれど、今回、意図していなかった条件が整い、それを試してみると、意外にも絶妙なバランスで調和が生まれつつあります。
この絵図がこの試作品にとってどれだけ影響があるのかは全く定かではないですが、ただこの偶然の状況から、このまま「だだ漏れ」してくれたらと願うばかりです。

図録写真:特別展「社寺明細帳図 ― 明治13年神奈川県下の神社・寺院の姿 ―」より
